キャプション

2026年5月29日(金)〜31日(日)の3日間、京都市京セラ美術館で開催された写真展「ECHO2026」に参加しました。

2026年5月29日-5月31日 京都市京セラ美術館 ECHO2026 | 株式会社フォトジェニック
https://photogenic.co.jp/2024/03/10/echo2026/
3日間、たくさんご来場いただきありがとうございました。

京都市京セラ美術館は学生の頃からよく行っていた場所だ。京都の美大に通っていたので行く機会が多かったというのもあるし、単純にあの建物が好きってのもある。
なんと現存する日本の公立美術館の中でもっとも古い建築らしい。
https://kyotocity-kyocera.museum/architecture
〈建築 | 京都市京セラ美術館 公式ウェブサイト より〉
建物がおしゃれで、陽射しの入り方や螺旋階段もかなりいい感じ。
そんな場所に自分の写真が飾られるって、やっぱりなかなかできない貴重な体験。

写真展「ECHO2026」には全国から281点の作品が集まったそう。
やっぱり人によって視点は全然違う。
- この人は何を想いながら撮ったんだろう?
- この場所はどんな空気だったんだろう?
- 笑顔で写っている人との関係性は?
そんなことを考えながら、写真の向こう側を想像するのがとても楽しかった。
今回出展した作品は、約60年前のハーフサイズフィルムカメラ「Olympus PEN D3」で撮影したもの。

ハーフサイズカメラは1枚のフィルムに2コマずつ記録されるので、並んだ写真同士から偶然ストーリーが生まれることがある。
僕がこのカメラを好きな理由のひとつ。
ただ、今回の展示でひとつ反省もあった。
それは「キャプション」。
展示には文字数制限があったこともあって、ハーフサイズカメラで2コマの組み合わせを意識していることを十分に説明できてなかった。
僕の中では意味のある並びだったとしても、初めて見る人からすると「写真を2枚並べたコラージュ作品」に見えたかもなって。
今回の写真展で改めて感じたのは、キャプションも作品の一部なんだということ。
もちろん、写真だけで伝わるものもある。
言葉がなくても成立する写真こそ理想のひとつなのかもしれない。
でも、キャプションがあることで撮影者の意図や背景が伝わり、見る人との距離が少し縮まることもある。
写真の見え方そのものが変わることだってある。
写真を撮る人の文章って、なぜかふわふわとした曖昧なポエムっぽくなりがちな気がする。
なんかこう、例えばだけど「風が囁いた」とか「記憶の欠片」とか。
急に誰?普段そんな喋り方してなくない?みたいな。
僕も今回のキャプションを振り返ると、少し感情を優先しすぎていたかも。
もう少し工夫できた気がする。
だから次に展示する機会があれば、写真だけじゃなくキャプションにももっと真剣に向き合いたい。
初めての写真展は、写真を展示する楽しさだけじゃなく、「言葉の役割」についても考えさせられる3日間だった。








