読書

又吉直樹さんの「火花」を読んで

火花 又吉直樹

どうも!

ゲン(@gen3ww)です。

 

又吉直樹さんの「火花

 

前々からタイトルは聞いたことあるし、気にはなっていたけどなかなか読む機会逃していて。

この前、又吉さんの作品が好きな方とお話ししたことがきっかけで自分も読んでみよっと思いすぐさまAmazonでポチ。

せっかくなのでブログに感想書き残しておこうと思い、今書いています。

小学生の時とか読書感想文の課題あって、みんなで書いた感想文読みあうのとか好きだったなって。

別にきちんとした書評みたいなんじゃなくても、そんときに自分はこう感じた!って残しておくと後々自分で読み返したときに、あの時はこう感じてたんだなぁ、また読んでみよってなることもあるし。

また自分の考えまとめられたり、新たな発見もあったり。

ってことで、つらつらと。

( 以下、ネタバレ含みます。)

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徳永やったら笑ってくれると思って

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P163

徳永さんと神谷さん、いわゆる先輩・後輩や飲み仲間というような関係だけじゃなく、漫才師ならではの会話のリズムや自分の思ってること感じてることを素直に話せるそんな絶妙ないい関係やなと思った。

普段あまり思ったことを考えるより先に口に出すのが苦手そうな徳永さんが神谷さんになら話せるのも神谷さんの人間性の魅力だと思う。

私も「火花」を読んで神谷さんの言動に魅力を感じ惹きつけられた。

神谷さんは漫才師に対して

「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すものやねん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿保と自分は真っ当であると信じている阿保によってのみ実現できるもんやねん」 

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P21

っという考えをもって漫才をしていた。

面白い漫才をすることに対してただただまっすぐ真剣な「あほんだら」の神谷さん。

徳永さんに対して神谷さんが

もし、俺が人の作ったものの悪口ばっかり言い出したら、俺を殺してくれ。俺はずっと漫才師でありたいねん。

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P42

ということも話しており、批判するような人ではなく、ずっと漫才師としてオモロいことをやっていきたいという神谷さんの気持ちが伝わってきた。

神谷さんはふざけたような言葉を使うことも多々あって、不真面目そうな性格にも思えるかも知れないが、神谷さんは漫才に対して本当に真摯にオモロいことやったろっという姿勢で取り組んでいたのだと思う。

神谷さん本人はこんな考察されることは望んでいないと思うし、「そんな風に言われたらおもろくなくなってまうやん、冷めるわ。」って言われそう。

話の中で

本物の漫才師というのは、極端な話、野菜を売ってても漫才師やねん

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P21

という話の一連も面白く興味深かった。

自分は何者なのか、肩書きという表向きばかり気になってしまう人も多い中で自分は何をしたいか、するのか、そんなことを考えさせられた。

話の中で神谷さんが

公園で太鼓を叩いていた男性に対して

「ちゃんと、やれや!」

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P31

と言ったことがあった。

基本的に穏やかな性格の神谷さんが、急に発した怒鳴るような言葉だったので何があったのかと思ったが、その後で

「お前がやってんのは、表現やろ。家で誰にも見られへんようにやってるんやったら、それでいいねん。でも、外でやろうと思ったんやろ?俺は、そんな楽器初めて見た。めっちゃ格好良いと思った。だから、どんな音すんのか聴きたかったんや。せやのに、なんで、そんな意地悪すんねん。聴かせろや!」

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P35

という話が続き、神谷さんの表現に携わる者に対しての熱い思いもここから垣間見れた。

そんな熱い言葉があったにも関わらず、その後の流れで

「太鼓の太鼓のお兄さん!太鼓の太鼓のお兄さん!真っ赤な帽子のお兄さん!龍よ目覚めよ!太鼓の音で!」

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P36

と幼稚な詩を唄う神谷さんがまた面白く可愛らしくもあった。

そんな熱い思いと純朴な感覚のギャップがまた神谷さんの魅力溢れる人間味になっているのだと思う。

また

・お洒落であること

・個性的であること

が同義のように扱われていることに対して神谷さんは

一見すると独特に見えても、それがどこかで流行っているのなら、それがいかに少数派で奇抜であったとしても、それは個性とは言えないのだと言った。それを最初に始めた者だけの個性であり、それ以外は模倣に過ぎないのだと言った。

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P83

と個性的(オリジナル)と模倣(コピー)についての考えもしっかりしていて、私も「火花」を読む中で自然と神谷さんに「弟子にして下さい」と言いそうになった。

神谷さんは魅力的な人間だと思うし、話を通じて神谷さん、徳永さんをはじめ、漫才師として生き抜くということの厳しさも伝わって来た。

スパークスの最後の漫才、あえて反対のことを言うと宣言した上での漫才は読みながら笑い、泣いた。

感覚としては「帰ってきたドラえもん」のひみつ道具「ウソ800」を飲んだのび太がドラえもんと再会したときのあれに似た感じ。

漫才をする前の徳永さんの口上

「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入りました。僕達が覆せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです」

引用:「火花」 – 又吉直樹 – (文春文庫)P143

この口上も刺さった。

努力だけではなかなか報われない世界。いや、それは努力が足りてないだけと言われる世界。そんな厳しい世界で世間的には大物にはなれなくても、ひとりひとりに物語があるだろうなって。

「火花」を通して、徳永さんと神谷さんを通して、漫才師だけでなく何かひとつのことに対して一生懸命になること、なれること、突き詰めることの熱い想いが人生を豊かにできるのかなって。

自分を鼓舞して笑ってくれる神谷さんがそこにいた気がする。