ペリリュー、楽園、ゲルニカ。

まだ、うまく言葉にできないけど、言葉に残しておきたい映画だった。
映画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」を観てきた。

南の島、ペリリュー島。自然は美しく、本来なら“楽園”と呼ばれてもおかしくない場所だ。
この映画は戦争を題材にしているということもあり、激しい戦闘シーンも描かれている。
でも、それ以上に心に残ったのは、敵兵と戦っていない時間だった。
敵と戦っている時間も、もちろん悲惨で酷い。
ただ、それ以上に、静かで地味な戦いが延々と続いていく。食料の問題、負傷者や病人の問題。敵兵に見つからないよう身を潜め、待って、生き延びる。
そういった生々しい地獄の描写が、強く印象に残った。
特につらかったのは、同じ日本兵同士で争う場面だった。
敵に殺されるのもひどいけれど、同じ日本兵に殺されてしまうという事実は、どうしようもなく、いたたまれなかった。
戦争によって生まれた偏った「考え方」や「正しさ」が、人を殺してしまう瞬間を見せられた気がした。
主人公が担っていた役目も、この映画を象徴している。
彼は「功績係」という仕事に就く。
戦死した仲間の最期を、故郷の家族に伝えるための仕事。
でもそれは、事実をそのまま書く仕事ではなかった。
足を滑らせて亡くなったり、不意の流れ弾だったり、病死だったり。
そういった現実は書かれず、すべてが勇敢な戦死、立派な最期として物語に書き換えられていく。
功績という言葉は、本来誇らしいはずなのに、この映画では、誰かの死を「立派な物語」にするための言葉として使われている。
その言葉が、遺族を思いやる優しさであると同時に、戦争を終わらせない理由にもなってしまう。
その狭間で言葉を書く主人公の姿が、静かに、でもずっと胸に残った。
それと、絵柄。
映画館で配布されていたチラシより思っていたより、だいぶ可愛い。
でも、だんだんその可愛さがつらくなってくる。
「メイドインアビス」を観たときの、あの感じに近い。
可愛いまま、容赦なく進む。
この映画を観て、「結局、タイトルにある“楽園のゲルニカ”ってどういう意味なんだろう」と、しばらく考えてしまった。
本来なら楽園と呼ばれてもおかしくない場所で、描かれていたのは、終わったはずの戦争そのものと、ずっと戦い続けていた時間だった。
楽園のゲルニカ。
ペリリュー。
何かが心に残り続けている。
たぶんそれが、この作品が描こうとしていたことなんだと思う。
うまく言葉にできないけれど、それでも言葉に残しておきたかった。
そんな映画だった。
田丸均を演じた板垣李光人さん、吉敷佳助を演じた中村倫也さんの自然体な演技と、作品全体を包み込むような主題歌を歌う上白石萌音さん、そして原作を描いた武田一義さんの視点も含めて、この作品は静かに胸に残るものになっていた。


